お花見
sakura

善福寺川沿いの並木道で、小雨の中をお花見散歩。
手ぶらで、傘だけ差して、歩きやすい靴で、お喋りをしながら。
どこまでも歩いていけるような気がする。
2008-03-31 08:04 | 未分類 | Comment(0) | Trackback(0)
森美術館レクチャーシリーズ “アートは心のためにある”
森美術館「アートは心のためにある:UBSコレクションより」展
パブリックプログラム レクチャーシリーズ 第1回 “アートは心のためにある”

出演:岡田 聡、高橋龍太郎
アカデミーヒルズ49 オーディトリアムにて


司会進行は森美術館のキュレイター片岡真実氏。
出演の両氏はともに精神科医で現代アートのコレクター。
自らコレクションの公開のための場を持っており、展覧会の企画にも携わる。
しかしその収集方法や哲学、こだわりは対照的なところも多く、なかなか興味深い。

岡田氏は、人との繋がりを通して収集していくタイプ。
アートコレクションを通して、同じ波長の人との繋がりを作り出そうとしている。
マックス・ウェーバーの「現代=脱魔術化した世界」という考えを引いて、
現代にこそ魔術が必要ではないか、魔術的役割を為すものを芸術と考えている。
プライベートなコレクションだったものをパブリックに公開し、自ら展覧会を開く理由として、
アート界全体の大きな流れに対して、ノイズを提供したいと述べる。
本流に対して、専門外の自分がノイズを出すことで、アートの大きな流れに豊かな陰影を付けたいというのだ。
これは一番おいしいとこ取りである。羨ましい。
身銭を切って膨大な量のコレクションをする人の、特権である。

高橋氏は岡田氏とは対照的に、アーティストとの個人的な繋がりを
排除とまでは行かないが、積極的には求めないタイプのコレクター。
アーティストや画商に気を使わず、純粋に作品と対峙したいということだろう。
アートは、スピリット、つまり人間の精神の高められたもの、
ドロドロしたところから昇華されたものから来ると考えている。
岡田氏はどちらかというと、ドロドロのところから興味があるようだ。
人間の内部や自分自身を知りたいという欲求が、
アートコレクションと、精神病理の探求へ岡田氏を向かわせている。
精神科医としての考え方の違いも反映されているのだろう。

ちなみに高橋氏は、全収入から生活費を除いた全部をアートコレクションに費やしている。
「だから僕は貯金がありません」と言い切っていた。
コレクション総数は約1,000点。恐れ入りました。
ちなみに岡田氏は500点ほどかなあ…と言っていました。

作品選びの決め手については、両者とも「自分が選ぶというより、作品に選ばれてしまう」とのこと。
作品に出会ったとき、作品に心をパカッと開かれてしまう、呼ばれてしまうのだという。
うん、それはとてもよく分かる。
そういう幸福な出会いは、両氏とは規模が違っても、
アート作品を買うことが好きなひとなら誰でも理解できるだろう。
ああこれ、おうちに持って帰りたい。と心から思う。(そしてお財布と相談する。)
考えてみれば、お洋服なんかもそうですね。

ほか、患者さんの描く絵について、収集と保存、公開のためのコスト、税制について、
美術品を「大人買い」する理由など、質疑応答も含めなかなか濃ゆい2時間だった。

私が身につまされたのは、中堅作家の位置づけに関する高橋氏のお話だ。
若手は安いから、ある程度は買える。だが、中堅作家は?
日本の中堅作家が、それなりのキャリアに応じた価格を維持していくことを
どれだけ今の日本のマーケットは支えることが出来るのか。
そのことを危惧していらっしゃった。
私の仕事はそこなので(うちの画廊は中堅から大御所を扱うので)、
実際今、中堅のアーティストが厳しい状況であることはよく分かる。
価格の維持は切実な問題だ。

cube
お土産は、展覧会の関連グッズ。ルービック・キューブ。
2008-03-11 09:12 | 展覧会 | Comment(0) | Trackback(0)
ブリヂストン美術館
ブリヂストン美術館
いつ行っても程よく空いていて、静かで、収蔵品も粒揃いで、良い美術館だ。
このようにたくさんの自前の収蔵品を持っており、
手持ちの作品を新たな文脈で組み直して展覧会を成立させることができるというのは
日本の美術館においてはなかなか恵まれていると言える。
学芸員のキュレーションの手腕も問われるところであるが、
それに関してもブリヂストンは、なかなかのものだ。
いつもコンセプトは明快で、見たことがある作品だけど、また行ってみたいな、と思わせる企画。
キャプションもいつも分かりやすいし、展示のセンスも良い。

この美術館は、各部屋の壁に色が付いている。(白い壁の部屋もあるが。)
また、各展示室は小さめの部屋に分かれている。

現代は、白い壁のホワイト・キューブ型の美術館が主流だが、
この様式は20世紀以降に生れた新しい様式だ。
なぜブリヂストン美術館は白い壁の広い展示室ではないのか?
それは、この美術館の主な所蔵品は19世紀頃のものであることに起因する。
当時、絵画が発表され展示されたのは、赤茶色のサロンの壁であった。
そもそも当時は、これらの絵画はこうしたサロンを除いては、
パブリックな空間に飾られるものではなく、
基本的に個人の邸宅に納まるものであった。
パトロンらの屋敷の、多くは色付きや柄付きの壁紙の上であり、
他に家具調度品とともにプライベートな空間にあったのである。

ブリヂストン美術館は、絵画を展示する部屋を、
意識的にそのようなプライベートな空間に近づけている。
だから小部屋で、色付きの壁紙なのだ。
特に落ち着いた黄色の壁紙は、印象派の絵画が良く映える。
そして親密な雰囲気の中へと迎えてくれる。
居心地の良さの秘密はそこにあるのだろう。


読むブリヂストン美術館読むブリヂストン美術館
(2001/06)
石橋財団ブリヂストン美術館

商品詳細を見る

2008-03-10 08:58 | 展覧会 | Comment(0) | Trackback(0)
画家、ザオ・ウーキー
ザオ・ウーキー(趙無極 1921年〜 )。

中国の宋王朝の末裔。
1948年にフランスに渡り、サム・フランシスらパリにやってきた芸術家たちと知り合う。
1951年、スイスを訪れ、パウル・クレーの作品と出会い、これをきっかけに
作風は抽象的な様式に大きく転換する。
中国の水墨画のような色調、書のような線、大胆な色面構成による、緊張感漂う空間表現。
ブリヂストン美術館の石橋幹一郎はザオの作品について下記のように述べた。
「それは抽象であり乍ら具象の迫力をもち、
西洋と東洋との混在した独自の清新な画風であった。」
(1995年石橋財団「ザオ・ウーキー」展カタログより)

1点、好きなタブローを何でもいいからあげよう、と言われたら(誰に?)
ザオの大きな作品を選ぶかもしれない。
マチスの赤い室内の絵も、ルドンのお花の絵も、クレーの音楽的な抽象も欲しいけど、
ザオを選んでしまうかもしれない。
いつまでも見ていられるのだ。
本当に深くて、そこに入っていける絵だ。楽しい。
それはマチスもルドンもクレーも同じだけれど、ザオは今、同じ時代に生きている。
だからなのか、より深く広く共感できるように思う。現代的な、すがすがしさを感じる。

ザオの初期の作品は、静謐で、物語世界的だ。空間的に狭く、穏やか。
かなりデフォルメされてはいるが、具体的な事物が描かれている。

それが、抽象に転換したとたん、うねりや流れ、澱みといった動きを得る。
マチエール、テクスチャーが雄弁になる。
そして一気に画面に描かれた世界が拡大する。
自然の雄大さ、鳥瞰、光と影。
迫ってくる感じと、遠景に佇む静けさが両立している。
画面は瑞々しくて、作品の前に立つと、マイナスイオンを浴びるような感覚。
戸外の光線を浴び、広々としたところで新鮮な空気を吸い込めるような気持ちがする。
抽象ではあるのだが、鑑賞者に確実に何らかの鑑賞者それぞれのイメージを想起させる力がある。
渓谷、海原、海岸線、滝、崖、…
凄味と畏怖、畏敬があり、大自然に対峙している疑似体験を催す。
これはザオの感性だけではなく、高度な画面構成力に裏打ちされている。
また、色彩感覚も物凄い。
印象的な青。そして朱。この朱はルドンの朱にも似て、妖しいがどこか清涼だ。

色といえば、近作になると、柔らかくほのほのとした桃色が印象的だ。
張り詰めたような画面から、詩的な安定感へ向かっている。
大自然の厳しさよりも、包み込む陽射しや慈愛を感じている。

一貫しているのは、圧倒する一方で、招き入れている点だ。
その中に、鑑賞者が身を置くことを許す寛容さ。
それは、ザオの作品が、激しさや、生命の躍動、時には腐敗のイメージを表すにも関わらず、
西洋的な生々しさ、誇示、雄弁といった要素が薄くて、清潔感があり寡黙だからだ。
そして自然の風景に対する東洋人としての考え方もあるのでないかと思う。
自然は「そこに在る」ということだけ。
良い意味で、こちらに無関心なのだ。ただ、存在している。
私たちはそれを眺め、そこで遊ばせていただく。

こんなにも人のイマジネーションをリアルに引き出す作家を私は知らない。
再現ではなく、暗示することで、鑑賞者を高みへと誘う。
凄い。ザオの作品は、その作品に対峙したものに対して、確実に影響を与える。
これが「絵画」というメディアの可能性そのものだと思う。


現在、ブリヂストン美術館で開催中の
「コレクションの新地平―20世紀美術の息吹」に17点の作品が展示中。
ブリヂストン美術館は、ザオの国内最大のコレクションを誇る。
2008-03-07 09:05 | 未分類 | Comment(0) | Trackback(0)
「─crystal─植松琢麿」展@日本橋タカシマヤ美術画廊X ほか
「─crystal─植松琢麿」展
日本橋タカシマヤ 6階 美術画廊Xにて 
3月11日(火)まで

日本橋タカシマヤ6階、昨年3月にオープンした、現代アート専門のスペース。

植松琢麿さんは1977年生まれ。
こういう若手の人がデパートの画廊で個展をするなんて、時代ですねえ。
動物の立体作品や写真作品の展示。
紫色のきらきらの結晶をお腹の中に抱える牛の輪切りのオブジェや
頭から珊瑚を生やした鹿のオブジェなど、立体が特に面白かった。
写真作品は、デパートの画廊にしては値段も安かった。額付きで10万円前後だ。

有機的な可愛らしさもありつつ、色は白が貴重でシンプル。
インテリアとしても良さそう。値段もべらぼうではない。
でもちょっと押しが弱いかもしれない。
というか、どこかで見たことあるような、ないような…
そういうティピカルな「現代アート」なので、展示として見る分には楽しいが、
買うか?となると、考えてしまう。
生態系の連鎖とか、キメラとか、色々付随する意味があることは何となく分かるし、
キャプションを読むともっとよく分かって、なるほどーとなるのだが、
作品それ自体と対峙してみると、綺麗にまとめてはいるが、やっぱり弱い。
この人が作ったコレが欲しい、という具体的な引力に欠けている。
あと、写真はもうちょっと洗練の余地があるように思う。


その後、タカシマヤのご近所の画廊を。
ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アートで「7人の新人」展、
それから西村画廊の常設展を。
2008-03-06 09:37 | 展覧会 | Comment(0) | Trackback(0)
BLUE MAN GROUP IN TOKYO@インボイス劇場
BLUE MAN GROUP IN TOKYO
インボイス劇場(六本木。ブルーマン公演専用に建築された劇場。)にて。

blueman


MUSIC×ART×COMEDY
と銘打たれている通り、ジャンルに捉われない、複合的なショー。
3人のブルーマンたちは、一言も発することなく、
次々と予測のつかないパフォーマンスを繰り出してくる。
変な宇宙人がやってきて、遊んでいる様子を見ている。という感じ。楽しい。

青い体に黒い服、大きな眼。ビジュアルだけでもかなりのインパクトだが、
パフォーマンスもかなり芸術性が高い上、インタラクティブでもあり、観客を飽きさせない。
蛍光塗料を注ぎ撒き散らしながら叩く打楽器や、チューブを利用したオリジナル楽器
を使用した音楽も、グラミー賞にノミネートされたというが、豊かでダイナミックで実に良かった。
DNAの二重螺旋がモチーフとして繰り返し登場し、美しい。
熟練した肉体的なパフォーマンスに対し、ハイテクの機器を使用したり、
サイバー化する現代社会について言及したりすることを対比させている。
エネルギッシュで時に荒々しいが、洗練されていて品がある。
客いじりもかなり巧み。

前列4列くらいまでは、「ポンチョ席」と言って
舞台から塗料とか色々飛んでくるので、観客はポンチョを着こむことになる。
今回、私はそのポンチョ席だったが、ど真ん中ではなかったので、
たいして何も飛んでこなかった。
着心地の悪いビニールをずっと着ていたのに。
いっそびしゃーんと飛んできてくれてよかったのに。
ちょっと残念。

終演後、ブルーマンは3人ともロビーに出てきて、写真撮影に応じていた。
こういうサービス精神も良いですね。
関連グッズにブルーマン饅頭とかブルーマン煎餅とか、そういうセンスも良いです。

2008-03-05 08:02 | 演劇・公演 | Comment(0) | Trackback(0)
「潜水服は蝶の夢を見る」
潜水服は蝶の夢を見る
原題:LE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON / THE DIVING BELL AND THE BUTTERFLY
監督:ジュリアン・シュナーベル
製作国:フランス、アメリカ
上映時間:112分
製作年度:2007年
出演:マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエほか

新宿バルト9にて鑑賞。

ファッション誌「ELLE」の編集長として活躍する人生から一転、
脳梗塞で左目のまぶた以外の自由が効かなくなってしまった男の実話を映画化。
原作は、主人公のジャン=ドミニク・ボビー自身が20万回の瞬きでつづった自伝小説。


意識は健常だった時と変わらないのに、言葉を発することも含め
身体的自由が全て奪われた状態をロックト・イン・シンドロームという。
脳幹の損傷が原因というが、脳梗塞の中でも最も重度と言われる非常に珍しい症例らしい。
この、意識や思考能力はしっかりあるというのが、見ていてもとても辛い。

前半、カメラの視点は常に主人公のドミニク目線なので、
観客はドミニクの苛立ち、戸惑いを一緒に体感することになる。
狭い視野、傾いたままの景色、繰り返しフレームアウトしていく事物。
それが、ある時を境に、ドミニクを客観的に捕らえた映像に切り替わってゆく。
それはドミニクが、順々に読み上げられるアルファベットに瞬きで合図し、
コミュニケーションを取ることが可能になり始めた時からだ。
ふっ、ふっ、と緊張感が少しずつ花開くように解けていくのが分かる。
「死にたい」と思っていたドミニクが、生きる意志を持ち始める。

ドミニクには、左目と、「思い出」と「想像力」だけが残された。
それらを使い、一冊の本を書こうとドミニクは決意する。
ドミニクの中に溢れてくる思い出と想像の映像の美しいこと。
病院の廊下で「牧神の午後」を踊るニジンスキー。
新車を飛ばしたパリの街並み。
孵化する蝶の震える羽。
スローモーションのように落下する氷河の氷の壁。
自らの身体の中にロックト・インされた状態、
潜水服を着たまま深海にいるような状態でありながら、
出てくるイメージはこんなにも美しい、そのことに涙が出そうになる。

このような逆境において、忍耐強く、このような美しい著作を残したドミニクは凄い人物である。
しかしこの映画を見て本当に凄いと思うのは、彼が生きる意志を持つように、
人間らしい尊厳を持っていられるように、敬意を持って接し、コミュニケーション方法を考え、
その面倒な方法でコミュニケートし、小さな回復を心から喜ぶ療法士の女性たち、
ドミニクの言葉をひとつひとつ書き留めていった出版社の女性、
子供たちを連れて病院に通い、ドミニクの恋人との電話の取次ぎさえした妻。
(ちなみに「妻」というのは適切ではなく、「子供たちの母親」。
もともと法的に婚姻関係には無いようだ。フランス式ですね。)
彼女たちの愛、そしてそれを受けて、生きよう、書こう、とするドミニク。
映像は、全編通してもう本当に美しいが、
この映像の美しさは、ドミニクの実際の悲劇を甘悲しく見せるためのものではなく、
彼の生き直そうという意思が生み出すイメージである。
人間の本質とは、本当に美しいものであると感じられる。

ひとつ心に引っかかるのは、
ドミニクが健常だった時に築いていた社会的地位を無視しては
この物語は成立しないという点である。
「ELLE」の編集長という富や名声、コネクションによって
彼は最良の治療を受け、絵の飾られた豪華な病室で寝起きし、
外に出たければ付いてきてくれる人がいる。
完全看護を受けているので、介護問題が家族を苦しめることもない。
(これは悲しい事実だが、寝たきりの人が介護を受けようと思ったら、
そのサービスの質は、支払える金額に比例する。
支払う金額が高ければ、その人のプライドを保てるような心配りがより多くなされる。)
また、電話一本で本を出版できるし、
その執筆のための担当者をつけてもらうことも出来る。
彼は所謂セレブリティ。
これが普通の人の場合だったら、と考えると、いろいろ難しい問題は出てくる。

それでもやっぱり、それも含めて、いい映画見たなあ、と思う。
ベースにはキャッチーなフィクションがあるが、
描かれているのは、人間としてこうありたいという理想
(ドミニクだけではなく、彼を取り巻く女性たちについても)であり、
世界の美しさ、記憶がもたらす救済の力、想像力の確かな手ごたえである。
映画として完成させた意味がある作品。


ウルトラ・オレンジ&エマニュエルウルトラ・オレンジ&エマニュエル
(2007/08/22)
ウルトラ・オレンジ&エマニュエル

商品詳細を見る

ルルドの回想シーンで印象的に使われる"Don't Kiss Me Goodbye"収録。
ヴォーカルのエマニュエル・セニエは本作に主人公の妻役で出演。

If you close the door
Just turn off the lights now
The world looks better into the dark
Between the curtains somebody's watching
Oh sail me to the moon
Before it's too late
Don't kiss me goodbye baby
2008-03-04 08:48 | 映画 | Comment(0) | Trackback(0)
「コレクションの新地平―20世紀美術の息吹」@ブリヂストン美術館
「コレクションの新地平―20世紀美術の息吹」
ブリヂストン美術館にて4月13日(日)まで。


ブリヂストン美術館は、もともとは創設者である石橋正二郎が蒐集したコレクションによる。
本展は、正二郎の後を継いだ石橋幹一郎の没後10年を記念して、幹一郎のコレクションを紹介。
レジェ、カンディンスキー、白髪一雄、今井俊満らの約20点の作品が初公開。

オーストラリア現代美術の抽象的な大作も、なかなかの名品で、
石橋コレクションの懐の深さを示すようで興味深い。

白髪一雄、大作が2点。あまり感心しない。
特に赤い色のほう。美しくないと思う。私は好きではない。
だけどおそらく今、ラインナップしておくべき作家だということは分かる。

ザオ・ウーキーが水墨、水彩、油彩合わせて17点。大好きだ。
色は暗め渋めなのに、清涼なのだ。
溢れるパワー。定まらない形から浮かび上がる、壮大な自然の迫力。
2004年のブリヂストン館での「ザオ・ウーキー」展の衝撃は今も忘れられない。
ブリヂストン美術館は、ザオの国内最大のコレクションを誇る。

ベン・シャーンのリトグラフ、リルケの『マルケの手記』の挿画本より。
どれも良かった。欲しいなー。
無駄と言うものがない。とても洗練されている。
でもこちらが入り込める余地のある、開かれた絵だ。巧い。
額装も良かった。
アンティークぽい、1点ずつ、少しずつ違う控えめな装飾のある額だった。

幹一郎氏に、「これだけ集めて、見せてくださってありがとう」
と言いたくなるような、良い展覧会でした。
2008-03-03 08:27 | 展覧会 | Comment(0) | Trackback(0)
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